日本の食文化には欠かせないそば。何気なく食べているそばには私たちが知らない長い歴史があるようです。年越しそばをはじめ、大切な行事の食べ物として親しまれているそば。早速歴史を辿ってみましょう。

そばの栽培のはじまり

そば粉の原料になるそばの実の栽培は日本では大変古く、縄文時代からとも言われています。9000年以上昔の遺跡からそばの花粉が見つかっているため、かなり古い時代からそばの存在があったようです。そもそも植物のそばは中国雲南省近辺、ヒマラヤあたりから日本に伝来されてといわれています。そばの実は殻をとった中身を粉にしてそば粉を作りますが、荒れた環境の中でも栽培がしやすく、日照りや寒い気候にも強いため凶作でも収穫ができる植物として栽培されていました。昔は小麦と同様にそばは収穫されたものを蓄え、緊急時の食材としても大変役に立っていたようですね。種まきから栽培まで3か月と早く育つ点も特徴になっています。





麺になったのは江戸時代

そば切りそばは縄文時代から麺の状態で食べていたわけではありません。現代の食生活ではそばは麺類の一つとして親しまれていますが、昔はそばの実を粉にしたものをお粥やそばがき、そば焼きなどにして食していたといわれています。麺類は現代では主食として食べられていますが、昔は非常食としての存在が強く、飢餓を防ぐ為に食べる保存食とされていました。江戸時代に入るとそばがきを包丁で切った「そば切」が始まり、麺の原型が始まったといわれています。当時の文学ではそば切が現在の長野県から始まったという記述もあります。はっきりとした年代はいまだに解明されていませんが、江戸時代にそばが麺状に形を変えてきたようですね。

そば屋の誕生

そば屋今では日本各地、そば屋が無い場所はありません。ランチにそば屋、なんて光景はごく当たり前ですよね。そば屋が開店したのはそば切が始まったのと同時期の江戸時代といわれています。信州の商人、清右衛門が1789年に信州更科蕎麦処という店を開店し、そばを焼いたものを販売したのが始まりといわれています。江戸ではこのそば屋が話題となり、続いて藪そばが誕生するきっかけになっています。江戸中にそば屋があっという間にひろがり、1860年には江戸のそば屋の数は4000店近くに増えていきました。当時、金銀細工師がそば粉を使って飛び散った金粉を集めてことから、この時期からそばは縁起の良い食べ物として食生活の習慣になっていったようです。